
宝山荘での事 - 一番 URL
2026/07/26 (Sun) 01:33:04
これは「 明主様を想う」
小林陽美さんの書かれたものから
「初代教会長を拝命された父、小林秀二郎は大変な 熱血漢で、曲がったことは大嫌いでした 男性にしては純情多感な面が多分にあり 今ように言えばは明治の浪花節に出てくるようなタイプの人間でした。
ある時 父の従兄弟で、すでに 正和教会 教会長であった高頭信正氏から、岡田式指圧療法の話を聞かされたのです。
父はインチキ療法だと思い込み 「ぶっ潰してやる」と大変な鼻息で、明主様にご面会を求め、宝山荘に駆け込んだのです。
そんな勢いがあったので治療について、とことん 明主様に質問し、ついに三日三晩 追い詰めてしまったと言います。
明主様は父に『あんたは曇りが多いから、人助けをして徳を積まなければ、畳の上では○ねない』とおっしゃられたと言います。
三日間のやり取りで、人間性とその本質を見抜かれた明主様の底知れぬ眼力に父はうち震え、
明主様の御前に深々と頭を下げ、両手をつき不遜な心をお詫びしたと言います。
そして 昭和15年5月 お守りをいただき 後に 日本観音教団 第7番目に発足した教会として、 明成教会の拝命を許されたのでした。(中略)
(「真善美」を生活に生かされる。)
昭和15年頃父に連れられ 宝山荘へ参らせていただきました。
お手洗いの出口には 2段になったおしぼりかごが置いてあるのです。上の段には 使用前の下の段の かごの中に使用済みのおしぼりを入れるようになっています。
私がお手洗いから出ると、下の段のおしぼりが溢れて2、3枚 床の上に落ちていたのです。
そこに 明主様がおられ、それを拾われて、丁寧にかごに納めておられたのです。
そしてさらに乱れているスリッパも、ささっと 素早くお直しされ 私をちらっと見て出て行かれました。
当時 「天皇陛下とどっちが偉いか 」などと、子供同士で言っていたその大先生が、そのようなことを自らされていたのですから、大変びっくりしたわけです。
(後略)
(何か当時の映像が見えてきますね。)(一番)
Re: 宝山荘での事 - 一番 URL
2026/07/27 (Mon) 02:40:54
神慈秀明会「楽苑」から
第1回 横内 元市氏 ご夫妻とともに
抜粋
(夫人)
川上先生(会主様の師)のところに伺ったのは前の年の・・・。
近所のKさんのご紹介で、長男が就学を控えて体の調子が悪かったものですから、それが動機です。14年の春でした。
川上先生というお方は?
(夫人)西宮北口で「霊気療法」
をしておられた50歳くらいの女の先生です。
(横内氏)子供のことも 動機ですが、私にも原因があったのです。私は35歳頃入信したのですが、それまで 胃弱と扁桃腺に悩まされて薬を浴びるほどのみ、 薬の量がだんだん増えるに従って だんだん体力が衰えていくように感じたのです。
だからなんとか自分の体を立て直すことをしなくてはならないということで、その当時のあらゆる健康書を読み、また実行しました。
自きょう術、背骨をまっすぐ直す カイロプラクティックや、温灸とか、ガスヘルスとか、つまり 薬だけに頼っているとだんだん 追い詰められていくのを 身を持って体験しましたから、
なんとか物理的な療法で直そうと考えていた時なのです。 そこで 指圧療法だか霊気療法だかよくは分かりませんが、 藁(ワラ)をもつかむ思いで、家内に連れられて、とにかく自分もしてもらおうと、川上先生のところへ通いだしたのがきっかけなんですよ。
(会主様)その時の様子はどうでした?
(横内氏)
いわゆる民間療法ですよ、まず体の上半身を裸にして、指で触りながら しこりのあるところとか、熱のあるところを探し、 体のどこが悪いかを調べて、そこへ霊気を送るという治療 なんです。
しかし 治療する部屋の床の間には 観音様のお姿のお軸がかかっており、治療と言ってもただの治療ではなく、「何かある」ということが、体が良くなるにつれていろいろ分かってきたわけです。
(ここが新健康協会の御尊影を飾ってありますが、神様とは決して言ってませんね。祝詞をあげませんから、
それで 健康法として浄霊をいただいて 体が変化していく、
環境が変わっていく これは何かあるとだんだんわかって行って、
明主様は 神様なんだと 芯から覚らせる方法をとっているんですね。
ですから 御本部の頂上に お写真をお祀りしてありますが、会員は皆 最高の神様であるとわかっているんですね。
ここが唯一 御尊影を御神体として祀る教団の由縁なんでしょう。神慈秀明会が御尊影をお祀りして、祝詞をあげていたら これはやっぱり おかしいのかもしれません。
世間から誤解されるかもしれませんね。)(一番)
Re: 宝山荘での事 - 傍観者
2026/07/26 (Sun) 12:58:40
私の家はこの明成会に所属していました。I氏も同じ教会です。
Re: 宝山荘での事 - 一番 URL
2026/07/26 (Sun) 09:47:05
これは同じ いづのめ教団季刊誌「iznoe」「明主様を想う」、小林直三郎さんの 書かれたものから、
(魅力あふれる 人間味)
「私の教修が終わった翌日 昭和19年5月18日
上野毛 宝山荘でのご面会でした。200人ほどの信徒が 2間を抜いた30畳敷ほどの部屋に参集しておりました。
戦時中のことで、軍服、モンペ姿の人が多い中 ひときわ目立ってきらびやかさを保っていたのが、新橋の芸者たちでした。もちろん 信徒です。
明主様(当時は大先生)が和服でお出まし の後、
井上茂登吉 執事が、床の間に 明主様 直筆の『座像観音』を丁寧にかけました。これは ○○本目であって・・・。これは今日出来上がったから皆さんに見てもらって・・と 明主様が説明されました。
その観音様は人の心を打つ、 筆舌に尽しがたい力感が溢れているように感じました。
明主様はとてもご機嫌麗しく、お話も 話芸のごとく 流暢で全く見事なものでした。その内容は天狗界のことで、しかも御自ら 天狗の発声をされるのです。『サシスセソの音で、天狗はこういう風に話すんだよ。ススススッソソソッソーと・・・』
それが実にうまいのです。天狗界など、とても普通の人に想像できるものではありません。
それを自信を持って 明言される明主様からは、説得力というよりも 全く 私どもを魅了する力を感じました。
明主様が私たちの次元に立たれ、俗的な言葉で、決して畏まらず、お話しされるのです。あのような座談的なご面会が醸し出す 打ち解けた雰囲気、それが人をつなげていく布教の原点ではないかと思われます。明主様 はいかなる 質問にも、難渋されることなく、快刀欄間にお答えになられ、場がしらけるということは皆無でした。
信徒の気持ちが 明主様の高さまで引き上げられるような、精神的高揚感を得ました。
また救われた人の喜びと感激で霊気が満ち溢れた世界、まさしく 天国でありました。」