明主様 一つの波紋3

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明主様

一つの波紋3

明主様信仰者の投稿から始まった『一つの波紋掲示板』の3代目。
信仰・思想の枠を超えた交流場所になりますように。

投稿の表示順について
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「景仰」から学ぶ - とりあえず名無し

2025/11/21 (Fri) 19:16:00


救世教以外の教団で 明主様のことに触れられる(学べる)機会が多い方は 少ないと思います。中には 触れてはいけない教団もあります。

本当は手に入れて 読んでいただきたいのですが 触れられない方のために 少々紹介したいと思ってます。

もっと明主様のことを 学んで(参考にして 実践して)もらえれば幸いです。

皆さん方からの投稿も歓迎します。


「景仰 (けいぎょう)」
教祖の家族をはじめ親交のあった各界著名人による回想談、在世当時に仕えた奉仕者や布教師らが語るエピソードを収めた言行録

Re: 「景仰」から学ぶ - とりあえず名無し

2026/01/22 (Thu) 21:13:46

明主様の思い出 三代様

ありのままのお姿
 『執着はいけない』と後年よく言われましたが、うまくゆかぬとみると、ほんとうに思い切りよく方向を転じて、しかもそれによって決して萎縮することなく、常により上の大望を持たれては、着々実現なすっていらしたことには、全く敬服いたすのでございます。
 そうかと思いますと、大森時代には、ちょうどこちらの『栄光』のような機関紙がございまして、それを売って、そのわずかな利益が生活費になったというような苦しい時代、また玉川で治療を差止められて、非常に窮迫していた時代が一時ございましたが、そういう時には、またそれで徹底的にひきしめられ、小さい私どものお小遣いなどでもいただきにまいりますと、"ウェッ"と顔をしかめて、つらそうな顔をなさったことをおぼえております
 そんなふうで、あるときはあるように、ないときはないように、そこに少しも世間体だとか、面子だとか、昔からの習慣を固持するとか、そういうことがありませんで、もう実にありのままでございました。

人を裁かず
 明主様は私の知っておりますかぎりでも、決して人を裁かれることはございませんで、もうまるっきり騙されてしまったような時でも、決して相手を悪く言われず、そういう言葉を聞いたことがございません。
 失敗と思いましても、ただひとつでもよかった点がありますと、"これこれのことが出来たのもあの人のお陰だから"という具合で、過ぎたことをくよくよ悔むことはなさらず、非常に楽天であられました。

Re: 「景仰」から学ぶ - とりあえず名無し

2026/01/22 (Thu) 21:12:48

ご追憶(抄) 二代様

原因をつきとめる
 明主様は毎夜のように、教団のその日の出来事を報告させておられました。
 それをお聴き取りになりまして、たまたま先月より今月の方が数字的に減少しているとか、足踏み状態であったりしますと、早速担当者をお呼び寄せになって、『そんなはずわはない。これはどうもおかしい。どこかに何か理由があるだろう』と言って、徹底的にその原因をつきとめられたのです。
 事実、そうしてつきとめていきますと、減少したり、足踏み状態のあるところには、やはり原因があったのです。
 そして、『それでは、こうしたらいいだろう』というふうにお教えていただいて、改めていくと、さらにまた発展していくということが、繰返されていたと思います。

ひとつの奇瑞
 昭和三十六年、私が山陰巡教の折、ある教会で明主様のお話をしておりますと、私の中からポーンと玉が飛び出しまして、それが明主様のお姿になりまして、御写真の方へ行かれたのを霊眼で見られた人がありました。
 そして、御写真の前で、明主様のお姿がありありと見られ、なんでも淡(うす)いねずみ色の地に錦糸で"瑞雲"の縫いとりのしてある美しいお召物を着て、終始ニコニコ笑って、私の話をご満足そうに聞いておられたということでしたが、私の喜びでもあるわけであります。

笑冠句の会
 明主様はいろいろなことを計画されますと、それに対する熱量とご努力は異常と思えるほどで、たとえば短歌を始められた時なども、少しも勉強されておりませんでしたのに、始められると作歌に余念がなく、ほとんど夜の二時三時まで、パイプを口にくわえてやっておられました。
 その和歌のはかに、明主様は一般信者のためには、もっと手近な、はいりやすい冠句というものを奨励され、それが長文の笑冠句となり、寸鉄や阿呆陀羅経(あほだらきょう)など、いわゆる滑稽阿呆文学を通じて、笑いのいかに必要なものであるかを教えられました。
 笑わすということは大変コツのいることであり、頭がよくなくては出来ないものでありますが、この点明主様は頭も飛び切りよかったし、笑わす天才でもありました。最も不遇、不況に沈んでおられた大森時代には、ことさら笑いを奨励されまして、笑和会という笑冠句の会をつくられて、一同の勇気を鼓舞して下さいました。
 そのころ、大森の家のすぐ側に、当時愛善新聞を売るために一戸を借りまして、奉仕者の宿舎としておられました。そこで若い人たちが自炊しながら、毎日市内や市外に出かけ、新聞の一部売りをいたしておりました。
 もちろん、世間の人は理解がありませんでしたから、時には、まるで物乞いかなんぞのように、冷たい言葉で追い払われたり、また犬に吠えつかれたりして、思うように買ってもらえませんでした。
 けれども、信仰というものは実にありがたいもので、これら奉仕者の人たちは、一途に世のため、人のためという大抱負の下に頑張っておったのであります。その抱負は栄光新聞となった今日でも同じだと存じますが――。
 そういう人々を慰安する目的で、明主様は時間を割いて、慰安の会をつくられたのでありますが、その楽しみがあるために、みなは勇気づいて、ほんとうによく働いてくれました。
 そして、ずいぶんとおかしな句がたくさんあり、読み方が上手なせいもあって、下手な漫才を聞くよりも、よほどおもしろかったのであります。みなみなお腹をよりまして、半日ぐらいお腹の皮が痛かったこともございます。もちろん明主様は、鼻の両脇に涙を流しながら、洟(はな)わかみかみ聞いておられ、それを拝見いたしますと、さらにまた、おかしさが込み上げて来るのでありました。
 とにかく、そうした雰囲気をおつくり下さったので、一同は日々の苦労も忘れて、新しいあすへの希望に張り切って出かけてゆくというふうに、結構楽しく暮らさせていただいておったのであります。


Re: 「景仰」から学ぶ - とりあえず名無し

2025/12/25 (Thu) 21:02:52

"借り"は"仮"でほんとうではない

 ある日、借家のことについて、つぎのような御教えをいただいたことがあります。
 『このごろは、何事にも感謝の気持ちが欠けていていけない。家などを借りて、住まわせてもらっている場合でも、お陰で雨風しのげているのに、家主に対する感謝などはさらになく、家賃を幾月も払わないで溜めていて、たまたま催促されれば、どっちが家主かわからないような返事だとは、あきれたものである。ほんとうから言えば、その月の家賃は、前月の末日までに持って行って払うのがあたりまえで、その月の終わりに払うようではだめである。なぜなら、それはやっぱり借りていたということであって、"借り"は"仮(かり)"であって、ほんとうではないということだ。また、借りは借金であり、罪でもある。しかし、前月末日までに払っておけば借りではないわけだ。神様は払うべきものを払ってさえ行けば、またお恵み下さるものである』
(教会長)

Re: 「景仰」から学ぶ - とりあえず名無し

2025/12/25 (Thu) 10:47:24

【寸言集】というのもあって

  説教をして判らそうとするのは、その人に信仰がないからだ。

  嘘をつくと頭が曇るから、頭の働きが悪くなる。

  この人はと思う人には、特に厳しくした。


自分自身 いろいろ学ばせてもらいました。

Re: 「景仰」から学ぶ - 匿名2

2025/12/23 (Tue) 08:25:11

「御用」と「ご奉仕」は、主体性が異なる印象がありますね。

・御用 - 主体的
・ご奉仕 - 従属的

かと思います。

AはB家に御用聞きに行った
=> Aは仕事を得るためにB家を訪ねた

AはB家に奉公へ行った
=> AはBの役に立つためにB家へ行った

仕事内容は、御用は専門知識などが必要で、奉仕は単なる労働力といった感じかと。

Re: 「景仰」から学ぶ - 匿名

2025/12/23 (Tue) 00:22:12

救世教では基本行として「参拝・浄霊・奉仕」といわれますが、これはご昇天後作られたスローガンらしいですね。明主様ご自身は、「み教え(本来は『御神書』)拝読、浄霊、御用」をおっしゃっておられた。
以前投稿してくださった「拝むとか、一生懸命祈るとか、そんなことよりも、私の言ったことを、ひとつでも半分でも実行してくれる方がうれしい」というお言葉からも、ご昇天後、組織維持を優先するために参拝を奨励したのではないかと思ってしまいます。
そういえば、「御用」と「ご奉仕」は同じなのか違うのか、知り合いと色々考えたことがあります。皆さんはどう思われますか。

Re: 「景仰」から学ぶ - とりあえず名無し

2025/12/22 (Mon) 21:12:40

『御教え・浄霊・御用』

 明主様は、何か事があると、よく
『御教えを読んでいるか』
『浄霊をしているか』
『御用をしているか』
とおっしゃたものです。
 このお言葉を肝に銘じて精進したいと思っています。
(管長)

Re: 「景仰」から学ぶ - とりあえず名無し

2025/12/22 (Mon) 21:11:12

自ら率先垂範される

 ある時、明主様のお嬢さまが、「お父さま、たまにはお眠い時もおありになるでしょうに、感心ですね。いつも几帳面にお起きになって……」と申されましたところ、明主様は、『そりゃ、私だって眠いこともあるさ。だけどね、私がそういうふうに、時間なら時間を励行しなくては、信者に対して私は言えない。だから信者に言う上においては、やはり自分はそれだけのことをしなければいけない』とおっしゃられました。
 そのお言葉を伺いまして、御教えをお説きになる明主様は、ほんとうに大変だと思いました。すべて御自ら実行なさっていらっしゃいましたのですから……。
(側近奉仕者)

御教えの実行者であられた明主様

 昭和二十七年ごろ、明主様はよく側近の奉仕者に対して、『原稿を書け。原稿を書くと頭がよくなる。ことにおまえたちは、わたしのことを書けばいいのだ』とだれかれとなくおっしゃっておられました。
 それで私も、明主様のご日常について、一文を綴ったことがありますが、その時明主様から、『文章のうまい、へたは別として、おまえたち側近者は、出来るだけわたしの日常生活を信者に知らせる義務がある。なぜなら、わたしがつねに信者に言ったり、教えたりしていることが、わたし自身に守られているかどうか、おまえたちの目でたしかめて、ありのままを書けばいいのだ』と、お言葉をいただいたことがあります。
(側近奉仕者)

宗教は救いの一部

 ある日明主様に、「いまの社会を見ていると、明主様のお力をもってしても、宗教だけでは完全に社会を浄化できるとは思いませんが」とお伺いすると、明主様は、『宗教だけで、世界の人類すべてを救えるものではない。宗教というものは、救いのうちのほんの一部分なんだ。私は宗教を必要としない社会を作りあげる仕事をしているんだ。いまの段階ではまだ宗教を必要としているから、宗教を名乗っているが……』と、非常に意味深長、含蓄に富む御教えをいただき、感激したことがあります。
(布教師)

Re: 「景仰」から学ぶ - とりあえず名無し

2025/12/22 (Mon) 21:10:22

楽しみながら頭を働かす

 明主様は、側近奉仕者の頭脳があまり古いのを嘆かれて、よく、『映画を見るようにせよ。頭が新しくなる』とおっしゃられたことがありました。これは監督、俳優その他の人々の努力が、総合結集されて出来たカットが、早いテンポで展開されて行く映画を観ることは、楽しみながら頭脳を働かすことになるわけであって、それが思考力を転換、敏活にする効果があるということでしょう。
(側近奉仕者)

奉仕者慰安の映画

 私は昭和二十五年ごろから、箱根奉仕隊の責任者として御奉仕しましたが、当時明主様は私ども奉仕者慰安のため、ひと晩置きに日光殿で映画を上映して下さいました。そして明主様も、二代様、おばさまとご一緒にごらんになりました。映画は夜七時から始まりますが、奉仕者が揃いますと私はお迎えな上がります。すると、明主様がお出ましになられるのですが、ある晩お迎えする奉仕者が非常に少なかったことがありました。明主様は『少ないが……』とおたずねになりました。「一部の奉仕者がまだ急ぎの作業をやっておりますので」と申し上げますと、『それじゃ、もう少し待とう。私はひとまわり散歩してくるから』とおっしゃって、ひとまずお帰りになったことがありました。
 それからは、奉仕者が揃わない時は、いつも明主様の方でお待ち下さいました。時計のようにきっちり決まっているご日課の中で、わざわざ奉仕者のために時間をお割き下さいました。
(造営奉仕者)

Re: 「景仰」から学ぶ - とりあえず名無し

2025/12/20 (Sat) 13:30:34

信仰が身につかなければほんものでない

 明主様は、『拝むとか、一生懸命祈るとか、そんなことよりも、私の言ったことを、ひとつでも半分でも実行してくれる方がうれしい』とおっしゃったことがありましたが、『身についた信仰―信仰を身につけて、それが自然に出てくるものでなければほんものでない』と、私は、よく御教えいただきました。
(布教師)


神様が判っても人は救われない

 明主様が、まだ東京上野毛にお住いのころのある日、私が、「明主様におかかりの神様はどういう神様なのですか」とお伺いしたことがあります。
 すると明主様は、『いままで世に出たことのない神様だ』と言われました。私は、「もっとわかるようにおっしゃっていただきたいのですが……」と申し上げると、『きみは神様を解剖してどうしようというのかね。神様がわかったとて人が救われるわけじゃない。そんな暇があったら人助けをしなさい』ときつくお叱りをいただきました。
 そのころの信者は、非常に神様のお話に興味を持ち、よくそういった質問を申し上げたのですが、このお叱りをいただいてからは、だれもこういう質問を申し上げないようになりました。
(布教師)

Re: 「景仰」から学ぶ - 一番

2025/12/19 (Fri) 11:51:12

想念の浄霊
ここが私 神慈秀明会の信者としては一番理解できないところですね。
よく世界救世教いづのめ教団の信者は 想念浄霊を送ります と 使いますね。
これは明主様だからできるのだと考えますね 秀明信者としては、
しかし どうもそうではないのかと最近は考えます。

Re: 「景仰」から学ぶ - とりあえず名無し

2025/12/18 (Thu) 20:10:22

想念の浄霊

 ある時、お勝手で料理をしておりました奉仕者が、急に胸が苦しくなって吐きそうになり、どうしても仕事が続けられませんので、明主様は二階でお仕事中でしたが、ご浄霊をお願いにまいりました。
 ちょうどその時、明主様はご推敲中でしたが、それをお聞きになられまして、『あ、あそうか。じゃ、そこにすわってらっしゃい』とおっしゃって、その人を部屋の隅にすわらされたそうです。
 そして十分ぐらいしましたら、明主様が、『もういいだろう。帰ってよろしい』と言われましたので、その人は"お仕事中だから、夜にいただけるんだな"と考えながら引き下がったそうです。
 帰ってくるとみんなに、「あんた、顔色がずいぶんよくなったじゃない。よかったわね」と言われるので、気がついてみると、ほんとうによくなっていたそうです。
 そのことを夕方明主様に申し上げますと、明主様は、『お光が強くなったから、想念の浄霊で治るんだ』とおっしゃったそうですが、非常にお忙しい場合には、そういう形で、浄霊されたこともあったそうです。
(管長)

Re: 「景仰」から学ぶ - とりあえず名無し

2025/12/17 (Wed) 08:55:32

他人のことを言う前に自分を

 よく目にカド立てて、他人のことをとやかく言う人があります。
 そんな人が、相手のことを明主様に申し上げたりして、『そんなこと大きなお世話だ。あなたは自分のことだけ考えればよい。ご自分はちゃんと出来ているかね』と逆におっしゃられて、ギャフンとなっている人を見たことがあります。
 やはり小乗がいけないのです。
(管長)

『人の目や口に心を惹かれるな』

 いつか、明主様のおられる隣りの部屋でうわさ話がはじまりました。
 私は明主様のお部屋に居合わせたのですが、そのうち隣りの話声がだんだん高くなっていって、こちらまで聞こえてくるのです。
 しかも困ったことに、どうもその話題の主が明主様で、"話せる"とか"話せない"とか、いろいろ聞こえてくるので、私はちょっとハラハラしていました。
 そんなとき明主様は、少しくらい聞こえてきても、一向に無頓着で気になさらないのです。『人の目や口に心を惹かれるな』というお言葉そのまま、じっとお仕事に没頭しておられるご様子に、非常に心を打たれたのを覚えております。
(管長)

『バカにされたらバカになれ』

 私は、いつも自分を利口だと思っているわけじゃないのですが、いろいろのことがありまして、せつなくて、せつなくて、明主様に、「私をバカにしているんでございます」と申しましたら、『バカにされたら、バカになれ、わたしを見てみろ』とおっしゃいました。
(布教師)

Re: 「景仰」から学ぶ - 一番

2025/12/11 (Thu) 02:04:29

なるほど、たくさん見つけましたね。
私は中道を行く というのが、一番響きました。

Re: 「景仰」から学ぶ - とりあえず名無し

2025/12/10 (Wed) 20:55:19

ちょっと見ただけでその人がわかる

 昭和十三年ごろは特別講習というのがあって、受講修了者を集めては、明主様から病理や臨床などに関するご講義をいただいたのですが、ちょうどその夜は特別講習があり、旧信徒も交えて十人ぐらいの集まりました。そして、S先生も特にお許しをいただいて、その会に列していました。
 明主様はご講義を終えられ、ご入浴になりましたが、ただちに浴場へ私を及びになり、『あの○○の隣りにすわっていた、初めてみる肥った男はどういう人か』とおたずねになったのです。
 私としても氏名、職業、質問の様子ぐらいのことしか返事のしようもなかったのですが、明主様は、『あの人は非常に頭のいい人だ。将来きっと役に立つよ』とおっしゃいました。その時は、私も「そうかなあ」と思ってお言葉がピンと来ませんでしたが、後年になってそのご慧眼のすばらしさに驚嘆した次第であります。
(側近奉仕者)

Re: 「景仰」から学ぶ - とりあえず名無し

2025/12/10 (Wed) 20:54:42

御教え通りにさせていただくには浄まるのが先決

 明主様は、『ちょうどいいということは一番簡単だ。中道を行くということは簡単だ』とおっしゃられますが、私たちにはそれが一難かしいことなのです。
 それで、いろいろ考えさせていただいて思いましたのですが、だんだん修行をさせていただき、浄まるにつれて、「我」が除れてくると、あとは神様がお手伝い下さると思うのです。そうすると、結局、中道をスラスラ行けるようになるのではないかと思いまして、このことについて、いつか明主様に申し上げたことがあるのです。
 「ある程度浄まれば神様が御守護下さるので、スラスラ行くようになるのではないでしょうか」と申し上げると、『そうだよ、それだよ』とおっしゃられることがありました。それで、明主様のおっしゃられる通りにさせていただくには、まず浄まることが先決問題だと思いました。
(側近奉仕者)

Re: 「景仰」から学ぶ - とりあえず名無し

2025/12/10 (Wed) 20:53:57

お側に行くと生き返ったよう

 明主様は人使いの名人であられましたが、普通ではあんな人かと思われるような人でも、結構その人のよい点を生かされて、お使いになっておられました。
 いつか、『私はどんな人でも使ってみせる』と笑っておられましたが、欠点よりも美点を引出して、その人を伸ばして下さいました。ですから、だれでもお側へいくと生き返ったように、輝いた顔をして働き出したものであります。
(管長)


迷える子羊への慈愛

 終戦直後、東山荘でのことですが、明主様からお汁粉のこちそうをいただいたことがありました。私は甘党ですから、それが大変おいしかったのですが、一緒に召上がっていた明主様は、私をごらんになって、『もう一杯食べたそうな顔をしているね。だが、やらんよ。信仰を捨ててよそへ行った者が、ふたたび戻って来たのなら、三杯やるがね』とおっしゃいました。これは"まわり道をして、本教のよさが判って、ふたたび戻って来たのだから、そういう人には三杯でも四杯でも振舞ってやるよ"というお慈悲の意味に、私は受取らせていただいています。
(教会長)

 

Re: 「景仰」から学ぶ - とりあえず名無し

2025/12/10 (Wed) 18:36:44

『苦しむのも結構じゃないか』

 私がお世話させていただいていた信者の方で、それは奥さんですが、非常に浄化のきびしい方がありました。
 病気はよくなったのですが、その他の面で、つぎからつぎへと苦しいことが起こって来るのです。苦しいことが起こるのは、その人の「めぐり」によるもの、すなわち曇りであることは、一応承知していますから耐え忍んでいます。
 また、『神様は御守護を下さろうとしても、その人に曇りがある場合、まずその人の曇りを払拭しなければならない』という御教えもありますから、大いに元気をつけていたものです。
 しかし、あまりにも浄化が続くので、私はお導きの関係上、明主様にお伺いしたことがあります。
 私が詳しくご報告するのを、"いかにもひどい浄化だ、さぞ苦しいであろう"といったお顔で、じっと聞いて下さいました。
 ご報告し終わって、さていかなるお答えをいただけるものかとお待ちしておりますと、ただひと言、強い語気で、『結構じゃないか』とおっしゃいました。
 私はハッとして、思わず「これだ!」と心の中で叫びました。
 もちろん私はお言葉をそのまま伝えました。ところが、その信者さんは、そのお言葉によって、一転機を来たし、どんどんよくなりました。
(教会長)

Re: 「景仰」から学ぶ - とりあえず名無し

2025/12/10 (Wed) 18:36:11

拝読せぬのは御神業の妨げと同じ

 『御神書を読んでいるか』とは、私たちに事あるたびに、御教えをいただいたお言葉であります。
 このお言葉をいただく時は、必ず自分の魂か曇っている時であり、心に 何か隙のある時でありました。大きく言えば、御神業の妨げをしている時でありました。
(美術館奉仕者)


『御神書も一般書籍も読め』

 注意しなくてはならないことは、御神書に対する感銘の深いあまり、その反動作用で、過去の文物に対して、それを夜の世界のものとして、ことさらに軽視する傾向のあることです。
 そこへ、『御神書は繰返し読むべし』とお言葉がありますと、そのお言葉にとらわれて、今度は、御神書さえ読んでいれば、それでよいと思い込んで、他のものにふれることをきらうのです。ひどいのになると、自分の怠惰を隠蔽する好材料とする人すらあります。
 明主様の博覧強記であられたことは、だれも驚嘆したところですが、われわれによく、広く知識を求められるようお奨めになりました。知識欲を"人間の持った天来の美徳"とご覧になられ、特に愛されたようです。こ自身は晩年の特にお忙しかった時でも、ラジオはもちろん、新聞は十数種、美術、建築、その他各般の書籍を取り寄せられてごらんになる、そのご熱意は大変なものでありました。
 いつかこんなことがありました。奉仕者で常識の欠けた人がありました時、『おまえは御神書を読んでいるか』とのお言葉に、「はい、毎日繰返し拝読しております」重ねて、『他の本は読むか』「いえ、あまり読みません」とお答えしますと、『そうだろう。それではだめだ。おまえは雑誌を第一、御神書を第二に読みなさい』と仰せられたことがあります。
(管長)


何ごとも偏ってはいけない

 『なんでも読め』という明主様のお言葉通りにと思って、小説をあまり読みすぎて、御神書の拝読が、疎かになってしまったことがありました。その時、『今後は絶対に小説を読んではいけない。焼いてしまえ』と、私は明主様からきついお叱りをいただきました。
 "偏ってはいけない"ということを教えて下さったのです。私たちはすぐ偏ってしまうので…。
(側近奉仕者)

Re: 「景仰」から学ぶ - とりあえず名無し

2025/12/10 (Wed) 18:35:01

お言葉は絶対

 私が二度目の御面会に行った時、明主様から、『あんた京都へ行きなさい』とおっしゃられたのです。
 私はびっくりしまして、"どうして京都へ行かねばならないのか、芦屋にいて、何も不都合がないのに行く必要はない…"と思いましたが、『京都に家を探せ』とおっしゃられて、わけが判らないのですけど、そのころ、京都に姉がおりましたので、とにかく「家を探してちょうだい」といって頼みました。姉も"変なことを言うな"と思ったらしいのですが、快く探してくれました。それで、一、二度見に行ったこともあるのですが、そのころはまだ、お言葉が絶対だということが判りませんでしたから、"こんな家気に入らん"といってモタモタして、またそのままにしておりました。
 その間、再三再四『家はみつかったか。移らないのか』というお言葉かあったのですが、申しわけないことですが、なえざりになっておりました。
 そしたら戦災に遭って、どうでもこうでも、京都へ行かされる結果になってしまいました。いま考えると、素直に、もっと早く家を探して移っていたら、戦災に遭わないですんだと思いますが、とにかく、お言葉が絶対だ……ということが判らない愚か者だったのです。
(教会長)

Re: 「景仰」から学ぶ - とりあえず名無し

2025/12/10 (Wed) 18:34:13

ひどい悪口にも大笑い

 明主様は、歌集『山と水』に、
 笑うたび 涙の出ずるくせ未だ
      そのままにして年重ねけり
とお詠みになっておられますが、笑冠句を私が読み上げる時などは、たえずボロボロと頬を伝う豆粒のような涙をハンカチでお拭きになりながら、お笑いになるお姿が、たまらなくなつかしく思い出されるのです。
 これはよほど「変わった癖」とでも申し上ぐべきでしょうか、よく世評での明主様のひどい悪口をお聞きになる時など、普通ならば激怒すべきところなのに、明主様は必ず涙を流して大笑いなさったものであります。
(側近奉仕者)

Re: 「景仰」から学ぶ - とりあえず名無し

2025/12/10 (Wed) 18:33:29

神様とはこういう方

 明主様という方は、何事も公平で、奉仕者もやさしくいたわっていただいて、神様とはこういう方なのだと思いました。
 上野毛で御奉仕していた時、私はひょう疽になったことがありますが、ある日、夜の十時ごろ、"大先生(明主様)がお呼びです"というので、私は寝巻のまま急いでまいりますと、 電話室のところで明主様が立っておられ、『台所をする者が、指をわずらっては困るだろう』とおっしゃって、早速私に浄霊をして下さいました。こういうおやさしい方なのです。
(側近奉仕者)

Re: 「景仰」から学ぶ - とりあえず名無し

2025/12/10 (Wed) 18:32:41

几帳面でグズが大きらい

 お若い時の明主様は人と変わったところがあったと言われますが、具体的に申し上げますと、几帳面なども、その一面でしょう。
 たとえば、手拭きなどを使われても、あとを決していい加減には乾かされませんでした。チャンと揃えて乾されます。また着物もチャンときれいにたたんでおかれました。これはお父さん譲りです。お父さんという方は、自分の箪笥の抽出しもチャンと決めておかれて、人には絶対触れさせない方でした。ですから、外出される時でも帰宅されても、全部自分でされますから、その点世話のかからない方でした。こういうところが明主様にもありました。
 また、性格もハッキリしていて、グズグズしているところが大きらいでした。
(親族)


乱雑にすると頭の働きがにぶる

 明主様はよくお身廻りのものを整理されながら、『私は物の区分けや始末がうまいから、道具屋なんかやればいいな』とご冗談をおっしゃいましたが、場所と物に応じ、整然と処理されるその周到さ、それは全くひとつの芸術でもあったと思います。そして、『どの戸棚の何番目の物を持って来い』とお命じになられても、決して間違いはなく、実に驚くべき正確さでありました。
 かつて明主様は、『人は平素から自分の持物は、いつでまた合うように始末しておく心がけが必要である。暗がりの中でも、入用なものを自由に取出せるくらいでなくてはいけない。放任乱雑にすると、それだけ頭の働きを鈍くするものである』と、静かに御教え下さいました。
(側近奉仕者)


 

Re: 「景仰」から学ぶ - とりあえず名無し

2025/12/10 (Wed) 18:31:27

奉仕には金よりも誠が肝心

 御奉仕ということも、明主様は、その人によっていろいろと御教えになっています。
 たとえは、「家庭が苦しいから、御奉仕も十分に出来ません」と言う人があると、『きみの言うことも合っているよ』とお答えになります。その人は、それに感激して、「幸福になってから御奉仕させていただきます」と言う。すると明主様は、『それでよし』という表情をされるのです。
 私は、その後、ハワイへ行き、アメリカ本土へ行って、この明主様の御教えが、ずいぶん力になりました。
 そのハワイでのことです。お金の御奉仕について、お伺いを立てたことがあります。その時、明主様は、こう言われたと間接的に聞きました。『人にはそれぞれ使命があるのです。あなたはお金の御用は忘れなさい。あなたが心配しないでも、世界中の富は神様のものだということを忘れないように。本部には、必要な時には、いくらでも、誠の人を通じて神様がよせられる。時期が来て、ほんとうのことがわかって来たら大変なものだ。それよりも、早く世界を救わなければならないのだから。そちらの人たちが心配していることを逆にやって、安心させて上げなさい。早く土地なり家なりを買って、われわれの目的は人類を救うことであって、お金集めではないこと、御奉仕のお金は、そちらで使うということの実地を見せてあげなさい。あなたは、もっともっと、ほんとうの大乗がわからなければいけない』……と。
 私は、いまさらながら、自分の至らなさを反省し、お詫びするとともに、御心の偉大さに感泣したものでした。それから急に気が大きくなって、いまのハワイ教会の土地と建物を買う決意が、理事会でなされたのであります。
 まことに、明主様にとって、全世界の富はすべて神様のものだったのです。
(教会長)

Re: 「景仰」から学ぶ - とりあえず名無し

2025/11/28 (Fri) 19:42:46

不良助教師さんへ

秀明、小山家支配の崩壊が怖いのかな。残念ながら 当分は変わらないのではないでしょうか。。。
ともかく より良くなっていくことを願っています。

私も他教団、救世教しか知りませんが 皆さんおおらかだと思います。

Re: 「景仰」から学ぶ - とりあえず名無し

2025/11/28 (Fri) 19:39:05

一番さんへ

>私はこれで良かったのかな

自分もこの掲示板に投稿したあと 強く言い過ぎたかなとか思ったり反省することがあります。

この場を借りて嫌な思いをされた方々にお詫びいたします。申し訳ありません。

反省、相手の気持ちを思いやれるようであれば いいのではないかと思いますが。

Re: 「景仰」から学ぶ - 一番

2025/11/26 (Wed) 01:34:24

新健康協会に以前 景仰をお届けしたんです。
私は神慈秀明会を知っているから、どういう反応を示されるかと少し緊張したんですが、
大変にお慶びになって、勉強会で学ばさせて頂だいていると仰ゃったので感激しました。

神事秀明会とは同じ離脱団体ですが、全く対応が違うので、
これも注目すべきところですね。
それで以前 投稿したんですが、箱根か熱海のお屋敷で 新健康協会の前身、光宝教会からご奉仕に上がられた荒川さん、
この方が10年近く前に伺ったのが、初めて明主様にお会いした時に神様だから大変緊張したが、
明主様が『人間として見なさい』と仰ったと
話してました。そしてある時、女性の奉仕者全員に洋服をプレゼントするから選びなさいと見本を見せられ、その中で 自分たちが好きなものをお示ししたら、後でそれが洋服になって頂かれ、皆それを着て明主様にお見せしたら、『よく似合うじゃないか』とお喜びになったと仰ゃってました。

これは当時、新健康協会総本部近くの、
老人ホームに入られてたから、お尋ねして伺いました。

それとこれも10年近くなるかな、
海外から 地上天国祭の時に新健康協会々員さんが沢山来られて支部で歓迎パーティーがあったんです。

その時催し物として、皆でダンスをしたんです。その時に男子が裸足だったから、
これは日本のひょっとこ踊りか何か。これをやった時に裸足だったから、御尊影の前で、後で私は男子にご神前で裸足はいけないと、お書きになっていると言ったんです。景仰にありますね。

それからその世話人の男子は私と会うたびに、少し緊張気味にされたから。

私はこれで良かったのかなと、後で考えたんですが、
今でもあの時は催し物だから構わないと捉えるべきか、いや ご神前だから裸足はダメだと捉えるべきか、
どちらが正解か自分の中で結論が出ていません。
あの人は神慈秀明会出身だから、ちょっとキツイかもねと、思われたかもしれませんが。

Re: 「景仰」から学ぶ - 不良助教師

2025/11/25 (Tue) 19:12:36

とりあえず名無しさんへ

>秀明で教えられる狭い救世教観だけでなく もっと広い意味で 全体的に学ばないと分からないものが あるのではないかと感じます。

秀明では他教団に触れることはご法度です。
秀明講座で毎年離脱劇のビデオを見ますが、その中に出てくる救世教の幹部は真っ黒ヤクザで教会長は間抜けな感じで、正義の白衣の王女と皇太子をいじめます。50年前の恨みを未だに見せられるのはきついですね。新入信者もこれを見て曇りました。まじでやめて欲しい。

Re: 「景仰」から学ぶ - とりあえず名無し

2025/11/24 (Mon) 20:06:07

不良助教師さんへ

小山先生の晩年、美術館の竣工前後?
本部月次祭で「景仰」の一部をお取次ぎされています。 「ご一緒に映画を観て」があったかはうる覚えですが。
ちなみに未公開の御教えも「信仰のマンネリ化に責任を感じられて」お取次ぎされてますね。どちらも秀明紙に掲載させていたと思います。

「明主様と先達の人々」も様々な先達のことを知れます、学べます。
小山先生も川上先生(小山先生を導かれた先生)の欄で少し触れられています。
「数多くの入信者ができたが、その中には、小山美秀子(元秀明教会長)らがいる。」と。
「渋井総斎伝 御用の人」「明主様と先達の人々」も様々な先達のことを知れます、学べます。
小山先生も川上先生(小山先生を導かれた先生)の欄で少し触れられています。
「数多くの入信者ができたが、その中には、小山美秀子(元秀明教会長)らがいる。」と。

秀明で教えられる狭い救世教観だけでなく もっと広い意味で 全体的に学ばないと分からないものが あるのではないかと感じます。
小山先生以外にも様々な先生方がいらしたこと、その誠(悪もあるとは思いますが)で 今の教団が 作られて 続けられているものだと思います。


それと話はそれるのですが
たまたま岡田茂吉インターフェイスというサイト(ブログ)を見たのですが

秀明では悪の権化のように語られますが
そのような方であっても明主様はお使いくださったのかもしれません。

御用に専念──これが天国的修行
 昭和二十五年法難の折、私はしばらく碧雲荘の玄関番をしたことがありました。言ってみれば、碧雲荘の若い執事です。
 その時、私は最初に明主様に申し上げたのです。「私はおそばでの御奉仕の経験がございません。これからどういう心構えでやったらよろしいでしょうか」
 すると明主様は、大きな声でお笑いになって、『心構えなんて、私のところにはない。あれは地獄に必要なんだ。ここは天国なんだから、そんなものはいらないよ』とおっしゃいます。私はハッと思いました。暗い事件の渦巻く最中にあられながら、いささかもご日常とお変わりなく、ここは天国だから、と仰せられたお言葉で、私の歪んだ緊張感はたちまちホグされ、雲上に軽々と、抱き上げられた思いがしました。
 それで、やっとの思いで、「御用をさせていただきたいのと、修業したい気持でおりますが……」と私は申しました。
 『そういうことがいかん。その時その時に必要なことに徹してゆけばいいのだ。アレコレと考えることがいけないのだ。私の側にいて、私の言う通りにやってくれればいい』と明主様は言われます。
 「では、何も苦しむことはないように思えますが、それでよろしいのでしょうか」と私はさらにお伺いしました。
 『そうだ。それを天国的修業というのだ』と明主様はおっしゃいました。

http://moifth.blog10.fc2blog.us/blog-entry-100.html
岡田茂吉インターフェイス 川合輝明さんが亡くなりました


以上 失礼しました。


Re: 「景仰」から学ぶ - 一番

2025/11/21 (Fri) 22:09:27

不良 助教師さんありがとうございます 。残念ながら 東方の光は何度か参拝お許し頂いてます。
知り合いもおられましたが、亡くなりましたね。弟さん妹さんが お元気ですかね。

私はそこの(鹿児島)療院隣のレストランのコロッケ定食が大好きでね。2回伺いましたが、また行きたいと思っているんですが、
(また地元の MOA にも何度も伺ってます。)

コロッケ定食のために新幹線で行くというのもね。ちょっと 経済的に厳しい、
しかし 嬉しいね。垣根なく どこでも行く というのは素晴らしい。

今はそういう時代じゃないもんね。

それで景仰は私の拠点、神慈秀明会の御神前にもありますね。 一般は読めませんが、先生が時々紹介されるんでしょう。

Re: 「景仰」から学ぶ - 不良助教師

2025/11/21 (Fri) 21:15:07

とりあえず名無しさんへ

私たちには禁じられていたため、その存在すら知りませんでした。読ませていただいて、大笑いしてしまいました。明主様は本当に素晴らしいですね。ありがとうございます。

私は一度、「東方の光」の地方拠点に参拝させていただいたことがありますが、嫌な思いをすることは一切ありませんでした。

一部の反社会的な教団では、他教団の信者に対して「お光を外せ」「ご神体は焼却しろ」などと発言することがあるようですが、「東方の光」ではそのようなことは一切言われませんでした。

ぜひ、一番さんにも「東方の光」に足を運んでいただきたいです。

スタッフさんとのやり取り

私:「仮光明神殿にご献金させていただけますか?」 スタッフ:「神慈秀明会の方へはされなくて大丈夫ですか?」

明主様のように、おおらかで温かい対応でした。

Re: 「景仰」から学ぶ - とりあえず名無し

2025/11/21 (Fri) 19:17:32

くどいのはきらい

  御面会のとき、ある先生が所属の問題につき、同僚間でいざこざが起きて、困惑している旨のご報告をながながとされると、明主様は、『私はくどいのは嫌いだ』と途中で制せられ、『みんなケツの穴が狭い。そんなことと人類救済とどういう関係があるんです』と穏やかにお叱りになり、『そんなことでは、いまに警察部を作らなければならないことになる·····』とおっしゃいました。
 まことに軽妙な、ウィットにとんだ明快なご裁断です。一同爆笑のうちに幕切れとなりました。
 「わたくしは鰻屋のお内儀なんざんすが·····あのう·····うちのお店でねえ、龍神様を祀ってたんですが·····」
 つぎに派手な衣装に身を包んだ年増婦人の、くどくどしい質問で、時々«宅のご主人が»などと、自分の亭主に«御»の字をつけたりするので、周りにいる先生方かやきもきします。
 ところが明主様は、平然と笑みをたたえられて、最後までお聞きになっていらっしゃる。お答えも平明に判りやすく、実に丁寧なるご解答です。私はそのあまりの違いさに、その時はちょっと奇異に感じましたが、それが待機説法の模範であることを、後日になって感銘も新たに理解させていただきました。
(布教師)
=================

対機説法(たいきせっぽう)とは、仏教において、相手の能力や状況に応じて教えを説くことを意味します。


Re: 「景仰」から学ぶ - とりあえず名無し

2025/11/21 (Fri) 19:16:50

ご一緒に映画を観て

 私が明主様にお会いして、一番最初にピンと来ましたのは、そのお部屋の花です。
明主様は、お花をご自分で床に生けられました。私どもがお招きを受けて伺うと、いつもご自分で生けられたお花が床にありました。
その生けられたお花を見ると、何かが違うのです。実に花のたたずまいが円満で、異常なものを感じさせられるのです。達人だと思います。
 明主様は超越したお方ですから、何か、そういうものから出ているものを、感じさせられるのでしょうが、えらいものです。
えらいと言えば、いつか強羅で美術品を拝見して、お食事をご一緒にいただいた時、『夜、信者に映画を観せるけど、きみ、一緒に観ないか』と明主様が言われるので、私は、「結構でございますね」と申し上げますと、『ああそうか』ということで、ご一緒に日光殿の広間に行きまして、映画を観ました。
 ところが、その映画は、宗教を悪く解剖したものなのです。しかも、救世教を風刺しているような映画なんです。それを信者に見せるのですから私はびっくりしました。
けれど、明主様は、大きな口をあけて笑っていらっしゃるのです。『これはおもしろい。これはおもしろい』とおっしゃって······。
 その大きさに私は非常にうたれました。普通だったら、人情の上から言っても、救世教を風刺したような映画なら、見せないと思うのですが、明主様は、『きみ、こんな観方もあるんだよ』と実に泰然としておられるのです。
 それが誇張したものではなく、真情からのものなんです。それで私は"大きいな"と感心したのでした。
(歌舞伎俳優)

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