明主様 一つの波紋3

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明主様

一つの波紋3

明主様信仰者の投稿から始まった『一つの波紋掲示板』の3代目。
信仰・思想の枠を超えた交流場所になりますように。

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み教えの実践体験や感じること - さんたろう

2022/11/16 (Wed) 12:38:06

みなさんみ教えの拝読だけでなく実践はされてますか。
正直自分はあまり出来ていません。
実践して体験したことや感じることなどを共有できたらと思います。
お気軽にどうぞ。

Re: み教えの実践体験や感じること - とりあえず名無し

2025/12/30 (Tue) 21:38:15

覚え書き

信徒諸氏に告ぐ
 本教信徒の中に、浄霊の場合医師にかかること、薬を服(の)むこと、注射をすること等について否定するごとき言葉ありやにて、本教の主旨を履き違え、社会の誤解を受けることは本教を傷つける結果となることは勿論で、この点充分注意され、決して医療に反対するごとき事なきように注意されたしとの大先生の思(おぼ)し召しを、ここにお伝えする次第である。
「地上天国」二号 昭和二十四年三月一日

御注意
 明主様より左のごときお言葉がありました。
 ときどき聞くことではあるが、浄霊者が病人に対して、医者へかかってはいけない。注射をしてはいけない。薬も服(の)むな、等というのは法規に触れる以上、決して言うてはならないのである。すべては病人の自由であって、いささかも自由を拘束してはならないのである。
「栄光」八十四号 昭和二十五年十二月二十七日

注意
 浄霊によって、奇蹟的に助かった場合、それを見た医師は驚いて首を傾げ、溜息を吐くとともに、どうして治ったかを訊くことがよくあるが、それに対しありのまま正直に言わない信者もあるようだが、これは大変な誤りで神様を冒瀆するものである。信者としては力の限り多数の病人を救うのが目的である以上、本教浄霊のすばらしい治病効果を、できるだけ多くの人に知らせるのが御神意に叶うのである。それにはなによりも医師に分からせることほど効果の大きいものはあるまい。ところがそのことが徹底的に分かっていないため、秘密にしたがるのであろうが、これはもってのほかの間違いである。せっかく神様が大きなお陰を下さる以上、それをお医者さんに分からせることが一等である。お医者さんの大部分が判れば、これだけで病気の問題は解決するのであるから、この点よくよく心に停めて今後は精々その方針で進まれんことである。
「栄光」八十二号 昭和二十七年十一月十二日

   『天国の礎 浄霊 下』(平成十八年八月一日発行)より

Re: み教えの実践体験や感じること - とりあえず名無し

2025/12/30 (Tue) 09:12:23

覚え書き 

大乗たれ
 私はいつもいう通り、大乗の悪は小乗の善であり、小乗の悪は大乗の善であるということであるが、この肝心な点をどうも忘れがちな信者があるが、これは大いに反省してもらわなければならないのである。判りやすくいえば、何事も大局的見地から観察するのが大乗的観方である。それについてよく説明してみるが、一生懸命善と思ってしていることが、結果において案外教えのお邪魔になる場合がある。しかもこういう人に限って自力的で人間の力を過信し、大切な神様の御心を不知不識忘れがちになっているのは、誰でも覚えがあるであろう。
 また、こういうこともしばしば聞かされる。それはアノ人はずいぶん熱心にやっているが、その割合に発展しないのはどういうわけであるのかと訝るが、これこそ小乗信仰のためであって、小乗信仰の人はどうも型苦しく窮屈になるので、人が集まって来ないから発展もしないのである。しかも一番いけないのは、物事が偏りすぎるから常識を外れて、奇矯な言動をする。これを見て心ある人は、本教を低級迷信宗教と思い、軽蔑するようになるのでこの点大いに注意すべきである。ところがその反対に、それほど熱心に見えないようでも、案外発展する人がある。こういう人こそ本当に大乗信仰を呑み込んで実行するからである。
 いま一ついいたいことは、小乗信仰の人に限って、他人の善悪を決めたがる。これも私は常にいうことだが、人の善悪を云々するのはとんでもない間違いで、人の善悪は神様以外分かるものではないのだから、人間の分際で善とか悪とかいうのは僭上の沙汰で、いかに神様を冒瀆することになる分わからないので、これほど大きなご無礼はないわけである。なによりもこういう人に限って独善的で鼻が高く、人徳がないから発展しないばかりかときには禄でもない問題を起こしがちである。
(中略)
 別言すれば、愛にも神の愛と人間の愛とがある。すなわち神の愛は大乗愛であるから、無限に全人類を愛するが、人間愛は小乗愛であるから、自己愛や自分の仲間、自己の民族だけを愛するという限定的であるから結論は悪になる。この意味が分かったとしたら信者たるものは何事に対しても、大乗でゆかなければならないわけで、すなわち神の愛をしっかり胸に畳んでお取り次ぎすることで、必ず好結果をもたらすに決まっている。故にどこまでも神の御心を心とし、無差別的愛で臨む以上、誰しも快く接することができ、喜んで人が集まって来るのは当然であり、発展するのは間違いないことを、最近感じたままここに書いた次第である。

「地上天国」三十号 昭和二十六年十一月二十五日

Re: み教えの実践体験や感じること - とりあえず名無し

2025/12/10 (Wed) 11:32:49

覚え書き

我と執着
(前略)
 したがって信仰を勧める上においても、執念深く説得することは熱心のようではあるが、結果はよくない。これは信仰の押し売りとなり、神仏を冒瀆することとなるからである。すべて信仰を勧める場合、ちょっと話して相手が乗気になるようなれば話を続けるもよいが、先方にその気のない場合は、話を続けるのを差し控え、機の至るを待つべきである。
「信仰雑話」昭和二十三年九月五日


慢心取り違い
(前略)
 次は取り違いであるがこれがまた馬鹿にはならない。信仰についての考え方であって、これがよく間違いやすい。例えば神話や伝説にある神様の因縁や関係を知りたがったり、憑霊現象に興味を持ち、無闇に知りたがるが、以上のようなことも熱中すると、本筋の方が疎かになる。なるほど少しは知っているのも無駄ではないが、これはある程度で止すべきである。それに囚われる結果、不知不識信仰の本道から外れやすいことになる。この原因はまったく御神書の読み方が足りないからであるとともに、読んでも実行しないからである。
 右二つの重要なことを書いたが、これが根本的に判り実行ができる人であれば、本当の信仰の線に沿うわけである。
「栄光」百十一号 昭和二十六年七月四日

Re: み教えの実践体験や感じること - とりあえず名無し

2025/11/28 (Fri) 19:36:21

>匿名さんへ

明主様もご在世中 教団内でいろんなことがあったと思われますが 黙って見ていたのかもしれません。
明主様であられてもそうなのですから。

人を変えようとしているつもりはないですよ。
「人と過去は変えられないが 自分と未来は変えられる」という言葉が好きなのですが。

明主様は『優れた美術品は、人々の情操を高め、人格を陶冶するだけではなく、人間の本質である魂を浄化し、このことによって人は幸せに導かれる』と教えてくださいましたが
私自身もっともっと 魂を磨いて磨きまくって 言葉だけでなく行動で 人を感化させる美術品のようになりたいと、熱い思いは きっと周りを感化していけると信じています。
(偉そうなこと書いてすいません)


↓こちらも参考になりました。

私が特に注目したのは「それよりもむしろ、先生がどうもおもしろくないというなら、その先生をよくしてやろう……と念願するのが本当ですよ。」です。
なるほど。これからは 秀明が良くなるように念願していきたい (祈りたい) と思います。

https://hitotsunohamon3.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=13444678
「信仰のない人 - 名無し」明主様 一つの波紋3


くだらない私の愚痴につきあっていただいて、今回のやり取りを通じて学びがあり その機会のチャンスを与えてもらえたことにも 感謝します。ありがとうございました。

Re: み教えの実践体験や感じること - 匿名

2025/11/25 (Tue) 09:53:01

すみません、訂正させてください。

> 株主が見放せば会社は倒産するし、
=> 株主が踏み込めば社長は解任され、

株主が株を手放しても、新たに他の人が株主になるだけですね。失礼いたしました。

Re: み教えの実践体験や感じること - 匿名

2025/11/25 (Tue) 04:47:42

とりあえず名無しさん

> 信仰(教団)でも社会生活でもより良くしていくとか、周りの人たちの幸せを考え行動していくこと、改革改善まで否定されてしまうと「明主様」って思えないです。

分かりますよ。
周りを変えたいと言う気持ちは、私も経験があります。
周りが腹立たしい・醜い・気持ち悪い、など思うところは沢山あります。
それでヤキモキしたことは何度もあります。

ただ、人を変えることは基本的には無理なんですよ。
株主が見放せば会社は倒産するし、社長が言えば社員はクビになる。
でも会社じゃない所では、そういった自浄作用が効きません。

今の時代SNSとかで内情暴露すると言う手もあるかとは思いますが、色々面倒ごとを増やすだけな気がしますので、私はお勧めはしません。
改革改善なんて大事は、よっぽど信頼や力がないと無理です。

じゃぁどうするかと言う話で、まぁ黙って見ていればいいと思います。
神様の方の準備が整えば、一気に解決しますよ。
あと数年くらいかと思います。

Re: み教えの実践体験や感じること - とりあえず名無し

2025/11/23 (Sun) 13:39:42

匿名さんへ

ありがとうございました。
頭では分かったつもりですし、御教え通りの考え、生き方をしていけるように努力していきたいと思います。

ただ 正直心情的には分かってないというか許せません。教師がいじめをするなんて地獄絵図ですよ。ご本人の気持ちを考えたら何と言っていいか。。。本当申し訳ないです。

信仰(教団)でも社会生活でもより良くしていくとか、周りの人たちの幸せを考え行動していくこと、改革改善まで否定されてしまうと「明主様」って思えないです。

それとこれからもよろしくお願いします。

Re: み教えの実践体験や感じること - 一番

2025/11/22 (Sat) 18:34:43

御教え研鑽さん、お返事
ありがとうございます。

あなたはどちらに所属されてるんですか。
所属団体で表現が違うから

私は非常に関心があるんですが、
あなたの文章は 感じがとてもいい。

それはさておいて、こちらもよろしくお願いします。


Re: み教えの実践体験や感じること - 御教え研鑽

2025/11/22 (Sat) 15:58:03

一番さん

いえいえ、私は敦澤さんとは何の関係もありません。

Re: み教えの実践体験や感じること - 一番

2025/11/22 (Sat) 07:32:16

御教え研鑽さん
あなたの文章は 洗練されてますね、
私はいつか世界救世教暗闘の著者、敦澤さんから投稿があったらと思っていたんですが この文章の整え方を見たら、なかなか洗練されているから、

そうじゃないかもしれませんが、そうだったら嬉しいなと、
思います。
大変素晴らしい ご意見だと思います。
全く違うところを勉強しろというのは、景仰でしたか 間違っていたらすいません、明主様は
御教えだけ読んでいる人に、違うものも 読みなさいと お書きになっていた記憶があるんですが。

そこで 最近思っていることが、 新聞記事で、
インドの言葉に、人生の生き方が書いてあって、それが4つに分けられる、その4番目 というのが70歳を過ぎたら「遊行期」に入ると書いてあるんですね、

遊行期とはどう解釈したらいいんだろうと、
私は心をまず遊ぶ感覚ですね。と解釈したんですが。
そのままですね。
何もしないで自由気ままにしたいことをする 楽しむ。

Re: み教えの実践体験や感じること - 御教え研鑽

2025/11/22 (Sat) 02:35:59

御教えをより理解するために最近思うことは、他の物事もよく勉強する必要があるなということです。
私なんかはただ何となく御教えが一番なんだから、他の教えや学問は夜の時代のもので、レベルが違うんだから、御教えをとにかく読んでいればいいんだ、と思ってきてしまったことを反省しています。
哲学、心理学、様々な宗教思想など、知らないことだらけで、浅い知識しかない状態で「ご経綸が」とか「ご神意が」とか語ってしまっていた。
偉そうに聞こえたら申し訳ないですが、このところよく投稿されている、秀明被害のことを見ると、坐禅とか瞑想とかやってみたらいいんではないかなあと思います。そして自己とは何か、苦悩とは何か、そもそもなぜ苦悩するのか、考えてみるといろいろ違ってくると。
突き詰めれば霊の曇り、ということになるのですけれど、そこで思考停止になってしまうのは、私の場合良くないなと感じますので、しばらく前から毎日瞑想をし、心理学や他の霊学などの本を読んだりしています。まだまだ大した進歩も向上もできておりませんが、物事の見方捉え方がだんだん変わってきていると感じます。さらに学びを深めることにより高い浄霊力をいただければと思っています。

Re: み教えの実践体験や感じること - 匿名

2025/11/22 (Sat) 01:41:41

見つけました。これですね。

===
昭和28年10月01日
典拠: 御垂示録第25号

(抜粋)
「奉仕させていただく私として、教団の幹部に金儲けを材料によって勧告するという事は小乗でありますか。又この場合に、私の伊都能売の働きと致しますと、どうするのが伊都能売の働きでございましょうか」
あなたは知らん顔をしておればよいのです。教団の幹部が何をやろうと、神様がチャンとやられるから要らない世話です。そうでなければ神様は意気地がないような事になります。あなたが黙まっていても神様がうまくやられます。それよりか、あなたは一人でも多く信者を作るという事です。教団の幹部の人に忠告するという事は、あなたは大変に偉くなっています。そういう事は全然考えてみる必要はありません。あなたの役目は支部長だから、一人でも多く信者を作って発展させるという事で、それでよいのです。第一注意するという事は、欠点があるとか、或いは自分の考えと違っているように思うから注意するのでしょう。
「注意ではなく、私の考えとしては、例えば会社に職を持っていると、社長や重役が・・・・・・」
此処は会社ではないので、教団なのです。そこを会社的に考えては駄目です。
「そういうふうに考えましたので申し上げた次第です」
ところが神様がやっているのです。だから幹部は神様が監督しているのです。幹部が間違っているように思うのですが、私もどうしてああやるかと思う事がありますが、しょうがありません。神様がやっているのだから、神様が何んとかしてくれると思っているから放っておくのです。
「私も奉仕ですから、神様がやっていると考えましてよいのでしょうか」
そうです。総て神様にお任せしておけばよいという事で、私の本に沢山書いてあります。あなたは御神書を読まないのではないのですか。  
「そこで神様に任せる事と、自分の奉仕する時所位において努力するという区別が分りませんが」
だから神様にお任せして努力するのです。あなたは切り離すからいけないのです。"人事を尽くして天命を待つ"で、神様にお任せして努力するのですから、それでよいのです。
今の質問は大変よい質問です。そういうように思って居る人があるかも知れないから、そういう事は大いに質問して、本当に心から分るようにして働いた方がよいです。
===

もっとも、今の混乱状態ではまた事情は異なってくるかもしれませんが。

> 例えば 教団、役職者から理不尽な扱いを受けても、間違った指導をされても
> それは自分の曇りで仕方ないことと諦める、耐えるしかないのですか?

これはやっぱり、自身に曇りがあるんですよ。

曇りがある以上はどこに行っても苦しみます。
私もそうでした。
だから自分で腎臓を浄霊して、そうした状態から抜け出す必要があります。
時間はかかりますが、私は抜け出せました。
振り返ると、やはり自分は自身の曇りのために苦しみが来ていたことが分かります。

Re: み教えの実践体験や感じること - とりあえず名無し

2025/11/21 (Fri) 15:25:37

参考
 私が扱った幾多の患者の経験によって得たる断案によれば、精神異常者、精神変質者、精神衰弱者等の頭脳に欠陥ある患者は一の例外なく左右いずれか一方の頸部淋巴腺および延髄部に腫脹固結があることで、それら患者の心理は常軌を逸し、正当なる判断を下しえないことである。また常に怒りやすき者すなわち争いを好む者は必ず両肩部に固結がある。すなわち肩の凝りである。癇もちの小児、泣き癖のある嬰児等も同様はなはだしい肩の凝りがある。しかるに本医術によって右の固結を溶解消滅するに従い、その性格は一変する。成人者は言語行動常識的となり平和円満を好むようになり、小児は両親の言葉によく従い明朗児となるのである。
『幸福への道』(「天国の福音」昭和二十二年二月五日)

Re: み教えの実践体験や感じること - とりあえず名無し

2025/11/21 (Fri) 15:24:55

『汚職の母体』(「栄光」二百五十号 昭和二十九年三月三日)
(前略)
 以上によってみてもこの問題の根本は最初に書いたごとく無神思想のためであるから、なによりもこの思想絶滅こそ解決の鍵である。それには何といっても宗教家の活動によって、神の実在を認識させることであって、たとえ人の眼は胡魔化し得ても、神の眼は胡魔化し得ないとする固い信念を植えつけることである。そうなれば汚職事件など薬にしたくも起こりようがあるまい。(後略)

=====

私たち一人一人が神あること信じ生活していくことが大切だと思います。
私たちの行動にかかっているのかもしれませんね。

Re: み教えの実践体験や感じること - とりあえず名無し

2025/11/21 (Fri) 15:24:18

匿名さん
>信仰と企業とは違いますよ。
>これは御教えにもあったかと思います。

どういう御教えかわかれば教えてもらいたいです。大まかな内容だけでも。
時間かかってもよいので。自分でも探してみます。

>あくまで自分を裁くべきです。
>神を相手にすべきです。

話はそれるかもしれませんが
例えば 教団、役職者から理不尽な扱いを受けても、間違った指導をされても
それは自分の曇りで仕方ないことと諦める、耐えるしかないのですか?
これからも人間生きていく中で不満が出てきますが満足に変えていく努力はしていきたいと思います。
信仰や御教えを社会の中で活かしていけるようにもなりたいと考えています。


Re: み教えの実践体験や感じること - 一番

2025/11/21 (Fri) 15:09:18

匿名さん、 とりあえず 名無しさん、
お二人とも 世界救世教の信者なんですね。

神慈秀明会関係の討論から色々あって、面白いですね 、この掲示板は。

今世界救世教東方の光 敦澤さんの本を読んでますが、 東方の光の文章は、また表現が違うので、これも興味が湧きますね。
祝詞、お詠の 唱え方も、教団で違う、

それぞれ 教主が御在世中に自分が聞いた感覚がそのまま、繁榮しているから、

Re: み教えの実践体験や感じること - 匿名

2025/11/21 (Fri) 14:38:44

とりあえず名無しさん

これは重要なことかと思いますので口を酸っぱくします。
信仰と企業とは違いますよ。
これは御教えにもあったかと思います。
あくまで自分を裁くべきです。

もっとも人それぞれで、自分ばかり責めて前に進めない人もいます。
こう言う人は、また違うアプローチが必要かと思いますが。

神を相手にすべきです。

Re: み教えの実践体験や感じること - とりあえず名無し

2025/11/21 (Fri) 10:22:44

『満足と不満』(「栄光」二百号 昭和二十八年三月十八日)
 人間誰しも満足の境地になりたいのはいうまでもないが、それが思うように得られないのが人生であって、考えようによってはこれも面白いのである。ところがよく考えてみると文化の進歩の動機は、人間の不満足な心にあるのだから、世の中というものは単純に解釈できないものである。つまり不満足があるほど向上もし、改革もでき、進歩もされるのである。
(以下略)

=====

不満足を批判と置き換えても良いと思う。繰り返しますが 悪いのは批判ではなく 改革改善されないことだと思います。

例えば信者さんの幸せを考えて自己浄霊をすすめる一番さんの行動も良いことだと思いますよ。実際教団に伝わって実現されることを私も願っています。

最近ではお客さんのクレームこそ大切だと積極的に収集し商品やサービスの向上や改善に取り組んでいる企業さえあるくらいだから。

私も 会社で業務の問題点改善点を上司や同僚に話したりして 出来ない部分もありますが より良くしていけるように努めています。

あと人それぞれ良い面悪い面あると思いますが 悪い面をなるべく無くしていけるように向上していきたいものです。

お互い頑張っていきましょう。
よろしくお願いします。

Re: み教えの実践体験 - とりあえず名無し

2023/08/11 (Fri) 13:42:36

(前略)
 病気というものは、いつもいう通り、毒素が身体のどこかしらに固まっており、それが熱で溶けて、排泄する苦痛なのであるから、 病気を知る方法としては、自分で自分の体を触ってみることである。頭の天辺から足の爪先まで撫ぜてみるのが、一番よく分かる方法である。必ず熱のある所が、一個所やニ個所 くらいあるもので、そこに病気があるのだから、そこの所を自分もしくは誰かに浄霊してもらえばいいのである。(以下略)
『自分で病気を知る法』(「栄光」百二十五号 昭和二十六年十月十日)

これ(急所の浄霊といってもいい)を知れたことは 本当にありがたいと思ってます。
良ければ みなさんも やってみてください。

==========

(前略)
 それは例外なく健康の判定には肩の硬軟を見ることである。肩を押して軟らかい人は必ず健康で相当重症な病気に罹っていても必ず治るのである。こういう人はまた平常なかなか病気には罹らないばかりか、精力旺盛で活動力が特に秀でている。 このなによりの証拠は社会上成功者や名士一流の人物になった人は必ず肩が柔らかいのである。(中略)
それについてつけ加えたいことは本教浄霊の威力である。それはいかに肩部の固い人でも柔らかくなし得るからである。故に本教浄霊の効果は何人といえども健康者たらしめ、長寿を可能にし、成功者たらしめるのである。(以下略)
『絶対的健康診断』(「救世」五十八号 昭和二十五年四月十五日)

肩が柔らかいと言われるから 健康なのかな、成功者ではないけど。。。

Re: み教えの実践体験や感じること - 破邪の刃

2023/05/12 (Fri) 13:22:37

https://www.youtube.com/watch?v=5t4JdL6RHc4
【まえむき人生相談】激務!休職中の30歳会社員は人生を迷走中!サラリーマンを辞めた後も活かせる「個人の価値」を身につけるには

人を喜ばすことが自分の幸せにつながるというのは
「人を幸福にしなければ自分は幸福になりえない」というみ教えにつながるなぁと思いました。

信仰とは関係ない話(相談)かもしれないですが。。。

Re: み教えの実践体験や感じること - とりあえず名無し

2023/02/09 (Thu) 20:26:46

『裁く勿れ』(「栄光」二百八号 昭和二十八年五月十三日)より
「私はいつも信者にいっていることだが、アノ人は善だとか悪だとか、お邪魔になるとかならないとかといっている人もあるようだが、そういう人がまだ少しでもあるのは充分教えが徹底していないわけである。そうしてたびたびいう通り、人の善悪を云々するのは、徹頭徹尾神様の地位を冒すわけで、大いに間違っているから充分慎んでもらいたいのである。(中略)また御経綸にしても人間の頭で分かるような、そんな浅いものではないので、この点も大いに心得ねばならないのである。(中略)
私は耳にタコのできるほど、小乗信仰ではいけない。大乗信仰でなければ、神様の御心は分かるはずはないといっているが、どうも難しいとみえて、間違った人がまだあるのは困ったものである。(中略)
そして信者は知らるる通り、現在どんな人間でも、毒素のない者は一人もない。これは体的だが霊的にみても同様、欠点のない者は一人もないので、それだからこそ神様は浄化によって救われるのである。
(後略)」

========
実生活でも裁いてしまうことが多い 私にぴったりなみ教えでございます。
これからも取り組まなければいけないみ教えだと思います。
明主様ありがとうございます。
大乗信仰でいけるように努力していきます。毒素で固まっている私を浄化で浄めてください。


Re: み教えの実践体験 - かえ坊

2022/12/16 (Fri) 00:37:59

私は何か挑戦するように、心がけています。

と言っても、そんなにたいそうなものではなく、こちらへの投稿も新たな挑戦です(^^)/




人は常に進歩向上を心掛けねばならない。

一歩ずつ気長に、自己を積み上げてゆくのである。無論焦ってはならない。ほんの僅かずつでもいい。長い歳月によれば必ず立派な人間になる。否、そのように実行せんとする心掛け、それだけでもう既に立派な人間になっている。そのようにすれば、世間からは信用を受け万事巧くゆき幸福者となる事は請合である。

Re: み教えの実践体験 - さんたろう

2022/12/15 (Thu) 13:54:37

>とりあえず名無しさん
ありがとうございます。
自分も実践出来るように頑張っていきたいです。
よろしくお願いします。

Re: み教えの実践体験 一番

2022/12/12 (Mon) 06:28:46

私は型にはまるのが嫌なので、本当は宗教団体は嫌いなんですが、

それで周りとは違う動きをするんで、誤解をされるかもしれません。

昨日は秀明の支部記念祭、たまたま参拝したら、その日だった。

新健康協会で自然農法の正月用のお餅が販売なかったので、秀明では販売されてた、ありがたく購入。

また古い友人がいて、彼はパソコンに強いのでAmazon の購入方法を教えてもらい。ありがたかった。2000人弱支部参拝されてたのか、駐車場はもういっぱいでしたね。 
また広くなると聞いてます。私が入信をお許し頂いたのが40何年か前ですが、
その時は古い一軒家を2階にした30人くらい、人が多いと、畳が抜けると言われてましたから、

それが今鉄筋の3階建てですから、

超共感! 佐藤 孝

2022/12/11 (Sun) 10:34:59

とりあえず名無しで居る事の、勿体ないと思えるほど超共感です!

【直心是道場】ですよねっ♪

Re: み教えの実践体験 - とりあえず名無し

2022/12/11 (Sun) 07:44:09

『宗教プラグマチズム』(「栄光」百六号 昭和二十六年五月三十日) より
「ところが哲学プラグマチズムは、実生活に哲学を採り入れ、役立つものにしようとするものでこの点実にアメリカ式である。それと同様に私は宗教を実生活に取り入れるというよりも、宗教と実生活と密接不離な関係にまで、溶け込ませようとするのである。だからいままでの既成信仰者のように、独善的、孤立的、観念的ではなく、超世間的な点を最も嫌い、あくまで一般人と同様であるのは勿論、極力信仰の臭みをなくするようにし、万事常識的で信仰があるのかないのか人の目には映らないにするところまで、信仰が身に着いてしまわなければならないと思う。つまり応身の働きである。」

========
これは体験ではないのですが
実生活と信仰が水と油のように別々だとか信仰さえしていれば良いとか祭典や行事に参加しているだけが信仰ではない。

いつもこのように宗教と実生活を溶け込ましていけるように努力していきたい、人生そのものが信仰の場と思います。

Re: み教えの実践体験 - とりあえず名無し

2022/12/11 (Sun) 07:43:10

『幸福の秘訣』(「光」二十九号 昭和二十四年十月一日)より
「幸福の秘訣などというと、なにか特別の魔法でも使うように想うかも知れないが、決してそうではない、至極当たり前の話である。ただその当たり前のことを世人はあまりに気がつかないのである。(中略)ではその方法はといえば常に吾々のいう、他人を幸福にすることで、ただこの一事だけである。ところがそれには最もいい方法がある。その方法を私は長い間実行していて、すばらしい好結果をあげているので、それを教えたいためにこの文を書いたのである。
右をまず簡単に言えば、できるだけ善事を行うのである。始終間さえあればなにか善いことをしようと心がけるのである。例えば人を喜ばせよう、(中略)その他日常すべての場合相手に希望を持たせるようにし、上役に対しても下役に対しても愛と親切とを旨としできる限り誠をつくすのである。(中略)勿論、一般人も一生懸命善事を行うことにつとめ智慧を揮い、努力するのである。かように善事を多くした人ほど幸福者になることは受け合いである。(後略)」

========

職場でも困っていそうな人がいたら声をかけたり手伝ってあげたり先回りして準備するように心がけてます。
そうすると自分が大変なときとか助けてもらえたりします。もちろんそれを期待してしているわけではなく自然とそうなる。ありがたいことに人のこと思ってやるのは苦無く出来るので。

こういうことを知っているだけでも感謝、ありがたいですね。

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